XJAPAN TAIJI 指がない噂 生い立ち
日本のロックシーンに数々の金字塔を打ち立て、今や世界中でファンを獲得した伝説のバンドXJAPAN。1989年、Xとしてメジャーデビュー当時、ベーシストとして存在感を放っていたのがTAIJIだ。
当時のSONYのプロデューサーが、「Xには2人の天才がいる」と評した。
彼が言う「2人の天才」のうち、1人は、YOSHIKI。
そして、もう1人がベーシストのTAIJIだった。
プロデューサーに天才と言わせるほど、才能に溢れたミュージシャンだったTAIJI。
彼の生い立ちとは、どういったものだったのか。
1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。
ちなみに、YOSHIKI、TOSHI、PATAも千葉出身だ。
成功しているロックバンドを見てみると、割と共通していることがある。
それは、良いメンバーに、人生の早い段階で巡りあっていることである。
同じ学校、10代の間に出会うなど、成功しているロックバンドを見ると、多くバンドが、20歳ぐらいまでに、主要なメンバーに巡りあっているように思う。
YOSHIKIとTOSHIに至っては、幼稚園という物心つくか、つかないないぐらいの段階で出会っている。
もしかすると、才能を持った人でも、同じく才能もった者に出会わないと、才能の埋もれてしまうのかもしれない。TAIJIも、XJAPANのメンバーと同じ時代に、近い場所で生まれたことは、のちの運命に深く関わっていったのであろう。
彼は、3人兄弟姉妹の次男として生まれた。
兄と妹がおり、妹は歌手Sister MAYOとして活動している。
2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。
そのため、彼はベースを弾く時、他の人が人差し指と中指の2本で弾く奏法では、人差し指と薬指を使っていたのだった。
「バンドではベースがしっかりしていないと」と語り、バイト時代もラブホテルで住み込みのバイトをし、仕事が終わってから、睡眠時間を削ってベースの練習をしていたと語っていた。
そんなTAIJIが最初に出会った楽器は、意外にもベースではなく、ギターだった。
小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、ギターを始めてから3か月後のクラス会が彼の初ステージだった。演奏した曲は映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」だった。中学生になると両親が離婚したなどの家庭の事情からグレて非行に走る。
後に、中学卒業までに、「バイク、シンナー、女、ケンカは全部した」と語っている。
1982年、千葉明徳高等学校に進学して、エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになる。同時にバンドも組み、アイアン・メイデンやレインボー、ディープ・パープル、キッス、モーターヘッド、LOUDNESSなどのコピーにいそしむが、プロのミュージシャンになるため一年で中退。
中退をきっかけに、親に勘当されて、家出をする。一時ラブホテルやYOSHIKIの家に住んでいた。
その後、Xのメジャーデビュー後に、両親をコンサートに招待し和解している。
高校中退後「トラッシュ」というバンドを結成。当時は、ギターリストでTAIJIの作ったオリジナル曲でコンテストを勝ち抜き、ベスト・ギタリスト賞も受賞している。
1985年、友人のバンド「DEMENTIA」でベースをプレイしたことがきっかけで、ベーシストへ転向。
ディメンシア時代はRayと名乗って活動していたが、ディメンシア脱退後はいくつかのバンドを渡り歩いた後に、1986年Xへと正式加入するであった。
当時のTAIJIにはXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、Xに加入することに決めたと後に語っている。
この時のXは、雑誌などにも広告をだしたりと周りのバイトから金持ちバンドと思われていたが、実際はメンバーに課せられる出費が大きく、TAIJIもアルバイトの給料では追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまで費用を工面したり、食べるものがないとコンビニでパンを万引きしたりして、なんとか生活をしていたという。
そんなこんなで1989年、Xの一員としてTAIJIは念願のメジャーデビューを果たすのであった。
TAIJIのインディーズ時代
『関東三大粗大ゴミバンド』と呼ばれていたバンドの1つディメンシアでベーシストとして活動。
ちなみに、あとの2バンドは、HIDE率いるサーベルタイガーとYOSHIKI率いるX(笑)
ただこの『関東三大粗大ゴミバンド』からプロになった人は非常に多いのです。
TAIJIは、HIDEが元々していたバンドであるサーベルタイガーのTETSUとkyoらと「デッド・ワイヤー」というバンドを組んでいました。HIDEがTETSUを引き抜いたみたいで、一時HIDEとは仲が悪かったがX加入後和解しました。当時のバンドはバンド同士の交流も多く、メンバーが行ったり来たりしていたこともあり、みんな知り合いといった感じだったようです。
YOSHIKIがTAIJIをXに誘ったときのことをインタビューで語っています。
「YOSHIKIってね、いつもXのメンバーを捜してた(笑)。カッコイイヤツを見ると、片っ端から「Xに入んない?」って声をかけて回ってたもん。だから、俺に誘いがあった時、『うわっ、ついに来たッ!』っていう感じだったね。それで、酒を飲んで話をしたら、なかなか面白いヤツでさ。一緒にやってもいいかなと思って、初めはこっち(ディメンシア)に入れよって誘ったんだ。でも、なかなか来ないから、俺がXに入ることにしたんだよね。ベースに転向して、半年位の時だったかな」
当時、Xはメンバーの入れ替わりが激しく、Xに入っては金髪になってみんなバンドを出て行くので金髪工場と呼ばれていたらしい。
TAIJIが入ったときも、YOSHIKIとTOSHIしかいなかった。
TAIJIとYOSHIKIがメンバーを探しに出かけると、相手と喧嘩になって帰ってくるみたい。
若い時のTAIJIを思い出すと、よく楽屋で演奏していた絵が浮かびます。
スタッフにチョッパーを自慢したりと、ベースに誇りをもっている様子でした。
TAIJIがXを脱退した理由について
TAIJIは、1991年頃からスタジオミュージシャンとしての契約になります。正式メンバーとしては1991年12月31日までだったようです。
1992年1月31日、ミュージックステーションにて脱退の発表がありました。正式発表は「脱退」という形であり、TOSHIの口から、音楽性、ファッション性の違いによりと説明がありました。しかし、実際にはYOSHIKIによる解雇と言われています。1月7日の東京ドーム3daysがXとしてのラストステージとなりました。TAIJIがXを脱退した本当の理由については下記のブログで考察しています。
TAIJIの最後の時
TAIJIは2011年7月17日、サイパン島で死去しました。享年45歳でした。
2011年7月11日、成田国際空港から北マリアナ諸島サイパン島に向かうデルタ航空298便の機内で、当時の女性マネージャーと騒動を起こし、窓や座席を叩いたり蹴ったりしたとして逮捕されました。しかし当時は一般女性乗客への暴行として報道された。 拘束中にベッドのシーツで首を吊って自殺を図ったとされています。沢田の死にはいくつかの疑惑があるとされ、死後に遺族が不審死事件の検証及び再調査に関する署名活動を行っています。
TAIJIの死については、内縁の妻が疑問を投げかけています。。
下記のブログで詳しく解説しています。
TAIJIは生前、2010年の日産スタジアムのライブで脱退後初めてXと共演を果たしています。
死後はHIDE同様に、X JAPANのメンバーとしてクレジットされるようになっています。
最後もう一度共演できてよかったです。
TAIJIとロック
TAIJIはとてもロックな生き方をしてきた人のように思います。
YOSHIKIもぶっとんでいますが、それとはちょっと違ってTAIJIはより元々あるロックのイメージに近い気がします。
「反骨の精神」というのでしょうか。
たとえ、自分が間違っていたとしても、自分自身や自分の感情をおらず、そのまま進むような人だったように思います。
自分を貫く以上、周囲との摩擦はさけて通れないですし、自分の理想を貫こうとすれば現実の壁はかならず立ちはだかってきます。
それでも、世の中が変わっても、TAIJIはTAIJIのまま、居続けたような気がします。
その姿は、良い悪いは別としてとてもロック的な要素を感じました。
それは、ある種の不器用さでもあったと思うし、時に損得で割り切れない人間のとってしまう選択や行動に私個人としては共感を覚えます。
結果、破滅に向かっていってしまったのですが、最後まで自分のロックを突き通した人です。
晩年のサングラスかけてる顔はハリソンフォードに似ている気がする。
TAIJIのベースラインの特徴
TAIJIのベースラインはメロディアスな印象があります。X加入当初から、音楽性は違うと本人も豪語していましたが、そのベースラインはとてもYOSHIKIの曲にマッチしていました。音楽性は違うと言いながらもYOSHIKIの曲に合わせてラインを作っていたのか、先天的に合うものがあったのかはわかりませんが、初期のXの曲にアレンジ面でも非常に貢献していたと思います。特にENDLESS RAINなどのバラードのベースラインは非常に基本を大切したアレンジで、クラシカルな要素もありました。
TAIJIのサングラス
TAIJIが若い頃つけていたサングラスは、Carreraのサングラスではないかと言われています。デビュー当時は、YOSHIKIやHIDEも似たようなサングラスをつけていました。こういうタモリさんのような黒いサングラスは当時割と日本中で流行っていたみたいです。
Xの初期のオフィシャルグッズでサングラスもあったようです。
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