XJAPAN YOSHIKI主催、伝説のエクスタシーレコードとは!?

XJAPAN YOSHIKI主催、伝説のエクスタシーレコードとは!? EXTASY関連
スポンサーリンク

XJAPAN YOSHIKI主催、伝説のエクスタシーレコード とは!?

x32.jpg

株式会社エクスタシーレコード (Extasy Records) は、X JAPAN(当時X)のYOSHIKIによって1986年に設立されたレコード会社およびインディーズレーベルです。

日本ヴィジュアル系ロックを世間に広めた先駆的レーベルとして語り継がれています。

当時はCOLORのダイナマイト・トミーこと冨岡裕が設立した音楽プロダクションフリーウィルと比較され、全盛期では「東のエクスタシー、西のフリーウィル」(「東のX、西のCOLOR」)とも呼ばれていました。(ちなみに、元XのTAIJIが2009年7月に、元COLORのボーカリストダイナマイト・トミーらとともにバンド「The Killing Red Addiction(TKRA)」を結成していました。COLORも当時はXと色々関わりがあったバンドです。)

1985年、インディーズで活動していたXはレコードのリリースを目指していましたが、レコード会社からのオファーがなかったため、自らレコードをリリースすることになったそうです。レコードを発売するための知識が全く無かったリーダーのYOSHIKIは、レコードのプレス工場、印刷工場、出版社、写植工房、レコード店などを直接訪ね歩き、レコード制作から販売ルートまでを一から学んでいき、当時休眠状態となっていたYOSHIKIの実家の呉服屋を業務変更して1986年4月に「エクスタシーレコード」を設立しました。

「プレス工場の人も、いきなり訪ねてきた知らない金髪の少年によく色々教えてくれたな〜」と後にYOSHIKIは語っていました。

すごい行動力ですね^^;

実家が自営業だったので、事業を行うにしてもすんなり入れたのでしょうか。

当時のことをYOSHIKIは「レコードの出し方を知らなかったから一から会社を作った、知っていたらそこまでしなかった」と語っていますが、LIVEハウスの人や先輩に聞いたら、レコード会社から出せることぐらいは、すぐにわかりそうな気がするので、個人的にはYOSHIKIの中で、レコード会社を設立する意図や戦略があったのではないかと思います。

結果的に、自分たちの会社を設立することで、この後自由に音楽ができたわけでもあります。

後にこの「エクスタシーレコード」から、LADIES ROOM、ZI:KILL、LUNA SEA、TOKYO YANKEES、GLAYなどのちに有名になる数々のバンドが続々とインディーズデビューを飾りました。

そして、その後メジャーデビューを果たす事となり、ヴィジュアル系バンドのメジャーへの登龍門的存在となったのです。

スポンサーリンク

エクスタシーレコードの所属アーティスト

X60.jpg

(これまでにエクスタシーレコードから作品をリリースしたアーティストの一覧)
Acid Bell
BRAIN DRIVE
Breath(R)
DEEP
EX-ANS
Gilles de Rais
GLAY(プラチナム・レコード)
THE HATE HONEY
HYPERM∀NIA
LADIES ROOM
LUNA SEA
media youth
POISON
P2H
SCREAMING MAD GEORGE&PSYCHOSIS
VELVET BLUE
VIRUS
X JAPAN
YOUTHQUAKE
ZI:KILL
THE ZOLGE
ラヴィアンローズ
東京YANKEES

すごいメンツですね^^

GLAYに関してはプラチナム・レコードからリリースしました。

プラチナム・レコード (Platinum Records) は、1992年4月にYOSHIKIが設立したメジャーレーベルです。
X JAPANはもちろんのこと、LUNA SEAやGLAYなどこの後大成するバンドを排出しています。

YOSHIKIやHIDEの先見の明を感じます。

スポンサーリンク

XJAPAN YOSHIKI主催、エクスタシー・サミットとは!?

X57.jpg

無敵」と書いてEXTASYと読む
    「無謀」と書いてYOSHIKIと読む
      「無限の可能性」と書いてX JAPANと読む
    例え時流に流されても、時代に飼われようとは思わない

エクスタシー・サミットとは、LADIES ROOM、ZI:KILL、LUNA SEA、GLAYなどエクスタシーレコード所属のバンドが一堂に会して行っていたライブイベントです。1988年に大阪のライブハウス、バーボンハウスで最初に行われました。その後、目黒鹿鳴館を中心に定期的に開催され、1989年9月に渋谷公会堂、1991年10月には日本武道館、翌1992年には大阪城ホールと日本武道館で行われています。

すごいことなってますね笑

司会も豪華ですね^^

1992年10月31日の日本武道館では、エクスタシーレコードのメンバーが「サイレントいやらしーず」としてXの楽曲「X」を演奏しました。

X65.jpg

サイレントいやらし〜ず EXTASY SUMMIT`92 みんな無名だったけど…無敵だった

1992年の日本武道館でのEXTASY SUMMIT`92の映像です。
YOSHIKI率いるインディーズレーベルEXTASY各バンドのメンバーが、EXTASYの大将だったXの楽曲「X」を、バンド名「サイレントいやらしーず」としてを演奏している映像です。
バンド名はGEORGE とYOSHIKIが考えたらしいです。
バンド名の候補は他にも「松平KEN と東京レディシーズ」とか「あげない」とかあったとか。
(「あげない」とは、「くれない」のパロディーで、インディーズ時代、Xのメンバーや当時ローディーだった元レディースルームのGEORGE が、移動の車の中で、「く~れない~、あ~げない~、も~らえな~い♪」と紅の替え歌で遊んでいたのが元とか。)
みんな髪の毛ながいね〜^^

真矢のドラムの安定感(笑)

TOSHI(Vo) (X JAPAN)
UMEMURA(Vo)(東京ヤンキース)
SUGIZO (G)(LUNA SEA)
NORI (G)(東京ヤンキース)
KEN (G)(ZI:KILL)
HIDE (G) (X JAPAN)
PATA (G) (X JAPAN)
YOSHIKI(G) (X JAPAN)
AMI (B) (東京ヤンキース)
GEORGE (B) (LADIES ROOM)
真矢 (Dr)(LUNA SEA)

X59.jpg

X62.jpg

Extasy Summit’ 92

Extasy Summit’ 91

YOSHIKIの言葉

数ある美術の中でも、メディアや
企業に対して最も近い関係に
位置する存在の1つとして音楽がある。音楽産業と言う言葉が語るように
もはや音楽は量産される商品の
ひとつになり叉あらゆる企業のプロダクトに関わる
プロモーション手段の1つに
なりつつある。それらの状況を評する賛否に対して
自分自身答えを持っていない。

多少興味はあるものの、

アーティストがアーティストとして
音楽という美術に向かう過程で、

それらあらゆる媒体の存在や
そこから生まれるムーヴメントは、

アーティスト自身の意志によって
生み出される作品に対する
付加価値的存在に過ぎないだろうし

クリエイティビティに対する動機を
間接的に刺激することはあっても、

決してそれを支配し、直接作用する
ことはできない存在だと想う。

叉そう思わなければ、自分自身が
存在する意味が分からなくなって
しまう。

どんな状況の中でも、

どんなにメジャーになっても、

アーティストでいたい。

大きすぎる、メディアや、
企業の流れの中で、

アーティストとしてもう一度
自分の気持ちを確認したい。

例え時流に流されても、
時代に飼われようとは思わない。

どんなにメディアにさわされても
そこに自分の存在を見つけようとは思わない、

夢を追い求めることにプライドを持ち、

音楽を愛することに、夢を求めたい。

今ここにいるだれもが、夢を持っている。

今ここにいるだれもがプライドを
持っている。

それがどんな形の夢でも、

それがどんな形のプライドでも、

それを持つアーティストは

必ず輝いている。

そう思いたい・・・

今日このイベントに参加してくれた
全てのアーティストに

そしてこの場に集まってくれた
すべての人達に

心から感謝します。

YOSHIKI

EXTASY SUMMIT 1992 『みんな無名だったけど・・・無敵だった』(ビデオ) より

スポンサーリンク

無敵と書いてEXTASYと読む!! 無謀と書いてYOSHIKIと読む!!

X68.jpg

『無敵と書いてEXTASYと読む!! ~EXTASY SUMMIT ’91 AT NIPPON BUDOKAN~』

『みんな無名だった、だけど…無敵だった ~EXTASY SUMMIT 1992~』

キャッチコピーがカッコいいですね^^

X66.jpg
X61.jpg

error: Content is protected !!