XJAPAN YOSHIKI カレーが辛い事 六本木の店だった?

XJAPAN YOSHIKI カレーが辛い事 六本木の店だった? XJAPANメンバーの魅力
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XJAPAN YOSHIKI カレーが辛い事件

XJAPANのYOSHIKIといえば、今まで数々の破天荒なエピソードを残してきましたが、その中でも特に有名なのが、「カレーが辛い事件」です。

1995年にダウンタウンの番組「HEYHEYHEY!」に出演したときに、このエピソードは語られました。

1991年の東京ドーム公演の前日、いつものカレー屋さんのカレーを注文したYOSHIKI。

ところが、スタッフが買ってきたカレーが普段より10何倍も辛いカレーだったため、辛さのあまり貧血になって気を失いかけたそう。

そしてたまらず、テーブルをひっくり返して、そのままリハーサルをせずに帰ってしまったんだとか。

このキレエピソードに便乗した商品も発売されています。
「YOSHIKI伝説 キレ辛カレーチップス」
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YOSHIKIは東京ドームの前日まで、入念に体調管理をしていたそうで、リハーサル前に一口食べたところ辛すぎて体調が悪くなって帰宅したとのことです。

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XJAPAN YOSHIKI シャワーが熱い事件

XJAPAN YOSHIKI シャワーが熱い事件

そして、もう一つ有名なのが「シャワーが熱い事件」

1991年9月7日、篠山紀信さんとのフォトセッションを予定していたYOSHIKIは六本木のスタジオに行きました。

現場でいつもシャワーを浴びるYOSHIKIは、事前にシャワーを浴びたいと言ってあったそうです。

「シャワー大丈夫?」とYOSHIKIが聞くと、「完璧です」と答えが帰って来たので、安心して撮影前にシャワーを浴びようとしたYOSHIKIですが、出てくるお湯がどう蛇口をひねっても熱いのしかでてこなかったそう。

頭から熱湯を浴びてしまい、全身をやけどしそうになったYOSHIKIはキレてそのまま帰っちゃったんだとか。

その後、篠山紀信さんとのフォトセッションは二度と実現しませんでした^ ^

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YOSHIKIが食べてキレたカレーはどこの店のカレーか?

YOSHIKIが食べてキレたカレーはどこの店のカレーか?

XJAPANのYOSHIKIが起こした「カレーが辛い事件」。
YOSHIKIはどこのカレーを食べて、キレて帰ったのでしょうか?
情報を調べたところ、六本木の「モティ」という店のナブラタンカレーを食べたそうです。
なぜか、1991年の東京ドーム公演の前日に食べた時だけ辛かったそうなのですが、普段はそんなに辛くなくYOSHIKIも好んで食べていたそうです。

 

六本木モティ
【住所】:東京都 港区 六本木 6-2-35 ハマ六本木ビル 3F
【電話番号】:03-3479-1939

地下鉄日比谷線六本木駅1番出口を出てすぐ隣にある「ハマ六本木ビル」の3階にあります。

「六本木モティ」はインドカレーのお店で、ランチとディナーで時間帯を分けて営業しています。

営業時間
ランチ
【日~土】11:30~15:00
【日・祝】12:00~15:00
ディナー
15:00~23:00(L.O.22:00)

年中無休

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YOSHIKI 元気が出るTV X初登場

YOSHIKIが「元気が出るTV」に初登場したときの映像です。

当時はゲイリーヨシキと名乗っていました笑
YOSHIKIの後ろにTOSHIも映っています笑

「ぞーさんに、演奏をきかせてやたいね〜
ビックリするかもしれない」

と言っていました。
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YOSHIKI LINEスタンプ配信中

2015年5月より、YOSHIKIのLINEスタンプが全世界に向けて配信されています。

どんなYOSHIKIスタンプがあるのかというと
こんなのです↓
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YOSHIKIのキャラが忠実に再現されていて、かわいいですね^^

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ドラムを叩いていたり^^

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昔のトゲトゲ頭のスタンプもあります^^
ヨシキティもトゲトゲ頭のありましたね^^

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キレエピソードも一つのYOSHIKIのキャラですよね^^

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また、YOSHIKIは2013年から公式LINEアカウントがありますので、友達登録できます。
YOSHIKIから最新情報など色々なメッセージがきます。
こちらメッセージを送ると返信もきますよ。

返信はYOSHIKIがその場で送っているわけではないですが、
何パターンか自動で送られてくる、みたいで
わかっていても少し嬉しいです^^

一応こちらから送ったメッセージは、「アーティストや関係者ならびにLINE運営者には見える」と説明に記載されていたので、もしかするとあなたのメッセージもYOSHIKIが見るかも^^

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【XJAPAN YOSHIKIインタビュー】 クラシックというルーツ、ロックとの出会い「自分の中には両方とも必要」

日本のみならず、世界にも大きな影響力を持つX JAPANのリーダーであり、ソロでも活躍するYOSHIKI。クラシックのピアニストでもある彼は、クラシック音楽の聖堂、ニューヨーク・カーネギーホールでコンサートを成功させた。ロックとクラシック、一見相反するように思える音楽だが、YOSHIKIの中ではどのように融合しているのだろうか? 日本を代表するアーティスト、YOSHIKIの音楽のルーツ、様々な活動への考えに迫る

X JAPANの曲も99%譜面になっている。その意味ではクラシックも一緒

――YOSHIKI さんは、2013年にクラシックアルバム『YOSHIKI CLASSICAL』を発表して、翌年にツアーで世界中を回っています。まずは、そのクラシックツアー第一弾が実現した経緯から教えてください。
YOSHIKI 2013年の夏ぐらいかな。アメリカのグラミーミュージーアムで、アルバムのショーケースがありまして、僕のアメリカのエージェントであるマーク(・ガイガー/世界最大級のエージェント“ウィリアムモリス”の音楽部門トップ)も観にきていたんです。彼がそのショーケースを観て、突然「クラシックツアーをやったほうがいい!」って。それから世界20何ヶ所かを回るツアースケジュールがバーッて出てきた(笑)。マークは、「YOSHIKIの、ロックな面を知っている人は大勢いても、クラシックの面は知らない人のほうが多い。X JAPANではドラムの面が強調されるけれど、クラシックだからといってピアノだけで勝負するわけじゃない。YOSHIKIの音楽人生で最も重要なのは楽曲だ。クラシックアレンジの曲を聴いていると、なぜYOSHIKIがX JAPANでこういう楽曲を書いたのか、その感情の発露のようなものがより鮮明になっていい」って言うんですね。で、2ヶ月ぐらい悩んで、結局説得されました。最終的に、世界10ヶ国をまわったのかな。

――ロックバンドでのツアーとの大きな違いは、どんなところに感じます?
YOSHIKI 僕の中では、ロックとクラシックとであまり違いは感じていないんです。クラシックは、演奏する音が全部譜面に書いてあるわけだけれど、僕自身がそもそも、曲は譜面に全部書いちゃうから。ドラム譜、ギター譜、コード譜まで全部。作曲するときに楽器は使わないで済むから、譜面さえあれば飛行機の中でも書けちゃう(笑)。X JAPANの曲も99%譜面になっているので、それに沿って演奏するという意味ではクラシックも一緒。音楽って、メロディを重視する上ではつい横の軸で考えがちだけれど、和音っていう縦の軸も大事なんです。クラシックでもロックでも、瞬間瞬間に和音が成立しているところも一緒だし、譜面以外のところで音がぶつかると、瞬時に僕はわかってしまう。SUGIZOも、X JAPANに入ってビックリしてました。「弾く音が全部決まってるんですね」って。

――クラシックは正確さが命なので、グルーブ感みたいなものが出せない気がするんですが。
YOSHIKI 全部音が決まっていても、その中でグルーブ感を出せばいい。あとは、クラシックをやることで、絶対にX JAPANにも跳ね返ってくることはあるな、とは思います。クラシック用に作った曲がX JAPANでも演奏できそうだったりもするし……。いいメロディがあれば、それが聴く人に合わせて、ロックになっても、クラシックになっても、EDMになってもいいんじゃないかな。だって、200年前は西洋の音楽といえばクラシックしかなかったわけだし、大きな括りの中では、ロックもクラシックも“音楽”なので。それで人の心を揺さぶることができるかどうかがすべてでしょう?

“アメリカでは受け入れられない!”と言われ、日本でも居場所がなかった

――なるほど。ある意味、YOSHIKIさんの音楽がもう一つのジャンルなのかもしれないですね。
YOSHIKI というか、もともとX JAPANの音楽が、かなりのクロスオーバーだと思うんです。20年ぐらい前にアメリカに渡ったときは、レコード会社の人たちに、「ヘビーな音楽をやるのなら、ヘビーな音楽だけにしたほうがいい。アメリカでは、あんな超がつくヘビーな曲の後に、突然ピアノでバラード歌っても絶対に受け入れられない!」って言われたんです。

――そうなんですか。
YOSHIKI もっと遡れば、日本でもずっと、僕ら、居場所がなかったですからね。「スピード感のある激しい音楽なのに、なんでメイクしてるんだ!」とか、「音楽のジャンルを決めてくれないと、扱ってもらえる雑誌が決まらない」とか(笑)。でも、メイクをしていたのも、明確なコンセプトがあったわけじゃない。ただ面白いからやっていただけ。反抗期だったので、言われれば言われるほど派手なパフォーマンスをしたくなって(笑)。気づいたら、ビジュアル系というジャンルが確立されて、気づいたら世界にも広がっていった。でも、僕だって、遊園地に行ったらジェットコースターだけ乗りたいわけじゃないですからね。ゆっくり寛げる観覧車とか、コーヒーカップとか、そういうのにも乗りたいですよね。基本、僕はライブでは、“ジャーニー”っていうか、オーディエンスを旅に連れて行きたいんです。

ロックと出会わなかったら、父を追うように死んでしまっていたかも

――YOSHIKIさんがロックと出会う前。少年時代は、クラシックのピアニストになることを夢みていたんですか?
YOSHIKI 4歳からピアノをやっていて、当時は絶対にクラシックの道に進むんだなと思っていました。父親もピアノをやってましたし。でも、まぁ、10歳のときに父親が亡くなって、そのタイミングでロックと“出会ってしまった”んです。

――“出会ってしまった”?
YOSHIKI 父の死因が、自殺だったんです。そのときは、少年ながらに悲しみと同時に怒りも湧いてきて、ロックは、そういう行き場のない様々な感情の受け皿になってくれた。僕も当時は自殺願望がすごかったので、もしロックと出会わなかったら、あのとき父を追うように死んでしまっていたかもしれないと思います。ロックと出会ってからも、クラシックは続けていたんですが、今こうやってクラシックのコンサートをやるようになったことは、音楽のルーツに戻っているような感覚があって……。自分の中には両方とも必要なのかな、と。

「ENDLESS RAIN」で、徐々にお客さんが歌い始めて最後は大合唱に

――X JAPANは、派手で過激なパフォーマンスが注目されたりもしていますが、クラシックコンサートの演出は、とはいえ奇をてらわないんですよね?
YOSHIKI プロジェクターで、カーネギーホールの壁に映像を映し出す演出はあります。それは、12月の日本公演でもやります。前回は、弦楽六重奏と僕のピアノだったので、LEDを持ち込んだりして、オーディエンスの反応も良かったんですが、今回はオーケストラで人数も多いので。

――世界的には、クラシックファンの人数が頭打ちだと聞いたことがありますが、そういうクラシック市場を広げたい意図もありますか?
YOSHIKI 僕は、クラシックのコンサートもよく行きますし、好きですし、ああいう格式の高い、あらたまった感じの場所が、僕がきっかけでもっと大勢の人に興味を持ってもらえたらとは思います。クラシックとポップロックとか、ジャンルの垣根を越えた、橋渡し的な役割が果たせたらいい。先日、東京ファッションウィークのオープニングで、僕のデザインしている着物のショーをやらせてもらったんですけど、そのとき200社ぐらいが取材に来てくれて。着物なんて特に、市場が縮小してきている最たるものなんだけれど、僕はもともと呉服屋の息子なので、僕が着物のデザインを手がけることで、着物が注目される“きっかけ”になればいいと思ったんです。実際、トラディショナルなラインもありつつ、ヒョウ柄や皮みたいに、それまでになかった柄や素材を取り入れたりして。

――ロックとクラシックでは、そもそもお客さんの反応が違うと思うんですが。
YOSHIKI 前回のツアーのとき、後半に「ENDLESS RAIN」という曲をやったんです。そうしたら、お客さんが、最初「歌っていいのかな? どうなのかな?」って様子見してたんですが、徐々にみなさん歌い始めて、最後は大合唱になった。それはすごく良かったなと思いました。他にも、クラシックでは珍しく、インプロビゼーション……即興でそれぞれの楽器が演奏する時間を作ろうと思ってます。

――クラシックコンサートとは思えない。YOSHIKIさんの発想には、制限がないんですね。ルールに縛られない。でも、既成のジャンルをぶち壊したいという願望があるわけではないんですよね?
YOSHIKI まぁ、“壊れればいい”ぐらいですね(笑)。

(新アルバム)本当に出るんですかね?……自分でも信じないです(笑)

――昨年末には、X JAPANで『NHK紅白歌合戦』にも出場しました。
YOSHIKI あれだけ大勢の人が観る番組で、楽曲を披露できる場を与えてもらっただけで光栄です。

――そんな謙虚な(笑)。X JAPANクラスなら、もっとドヤ顔で「出てやってるんだぜ!」な態度を取っても、誰も文句は言わないと思います。
YOSHIKI もともと、僕がこうやって世界で活躍できているのも、X JAPANの解散があって、復活するまでの間も、日本のファンの皆さんがずっと応援してくれていたからなので。僕に第二の人生をくれたのは、日本のファンの皆さんだと思っています。ただ、海外に出たときは、外国のアーティストになろうとして行ったわけじゃないんです。X JAPANは、“JAPAN”って入ってるせいか、世界中を回っても、「どこ出身?」とは聞かれないのがいい(笑)。海外で、メンバー交替があったときも、僕は日本人を入れることにこだわりました。コラボはありますよ。僕もマリリン・マンソンとコラボしたりとかありますけど、X JAPANに外国人のボーカリストを入れていたら、それはそれで違うような気がするんです。僕らの活動が、日本のバンドの刺激になればいいなというのも、僕が海外で活動する理由の一つです。

――そんな多忙な中、来年はアルバムもリリース予定ですが。
YOSHIKI 本当に出るんですかね? 誰も信じてないですもんね。……自分でも信じないです(笑)。でも、たかが一つのバンドのアルバムが出るか出ないかで、ここまで騒がれるのも幸せですよね。たまに脅迫の手紙とか、きますよ。「アルバム出ないならぶっ殺してやる!」みたいな(笑)。

――みんなそれほど渇望してるんですね。とはいえ、曲は次々に生まれている。
YOSHIKI ものすごく書いてます。さっきも言った通り、楽譜で書くので、いつでもどこでも制限がなく書ける。

数週間前に僕、ポール・マッカートニーの前でピアノを弾いたんです

――アルバムとして発表するまでに、乗り越えなければならない一番高いハードルは?
YOSHIKI レコーディング! 要するに、僕の頭の中では完璧なイメージができているわけです。こんな響きで、こんな和音でっていうのが頭の中で鳴ってるんですけど、いざレコーディングになると、そのイメージに近づけない。レコーディングは、基本的には妥協の作業ですね。たまにイメージを超えることもありますけど、ほぼ妥協(苦笑)。だから、悲しいんです、毎回。こんなはずじゃなかった、って。

――じゃあ、アルバムの譜面は全部揃っていて、曲順も決まっている。
YOSHIKI そうですね。だから、僕が死んだら、楽譜は死ぬほど残ります。あまり酷い曲以外は捨ててないので。500曲ぐらいはあるんじゃないかな。この間、松田聖子さんに曲を提供するときも、30曲ぐらいは書いたと思います。

――そのイメージする音が、ライブで再現できないのは我慢できるんですか。
YOSHIKI ライブは、間違いもアクシデントも含めてライブだと思ってるので……。あとは、自分の作った楽曲が、恐竜みたいに絶滅しちゃうジャンルになってしまうことだけは避けたいんです。200年後も、きっとみんなビートルズの楽曲は聴いてるだろうって想像できるじゃないですか。つまり、ビートルズは200年後にクラシックになる……。

――なるほど。その頃には確かにロックもクラシックも関係ないですね。
YOSHIKI ビートルズといえば、数週間前に僕、ポール・マッカートニーの前でピアノを弾いたんです。

――え? 本当ですか? どうして?
YOSHIKI あるパーティに呼ばれて、数十人のゲストの前でアメリカの国歌を弾く機会があったんです。その数十人の中に、ポールやU2のボノもいて。すごい経験でした。最後、ポールに握手を所望したら、ハグされました! あー緊張した!!(笑)。
(文/菊地陽子)

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