XJAPANのYOSHIKIが1997年のX JAPAN解散について語る

XJAPAN YOSHIKIの血液型は?出身地はどこ?学歴、身長について他メンバーとの比較 XJAPAN インタビュー

YOSHIKIインタビュー
2002年6月20日

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XJAPANのYOSHIKIが1997年のX JAPAN解散について語る

YOSHIKIが1997年のX JAPAN解散について語る
YOSHIKI「(Xが)メジャー・デビューして,どっかのイヴェントに出たんですよ.それをTV局の人達が……『ミュージック・ステーション』かな?の人達が観に来てて,”出ませんか?”っていうオファーが来たんですね.でも,当時のレコード会社は”絶対やめた方がいい”って.それまでってロック・バンドがTVに出ることってあんまりなかったじゃないですか?デビュー前にある評論家の人に”TVにも出てみたいな”とかって言ったら大反対されましたもん,”まず出れないだろう”って.”出れたとしても良くない”って.でも,ダメって言われるとやりたくなっちゃうんですよ,僕.子供心じゃないんですけど」
この『THE LAST LIVE』で初めてXに触れた人はもちろん,リアル・タイムでXを経験して来た人にとって,YOSHIKIが言う”子供心”がXというバンドを解きあかすための重要なキーワードであることは,にわかには信じ難いと思う.ロック・バンドの枠を超え,一種の社会現象にまでなった超巨大プロジェクト.しかし,その始まりは,YOSHIKIという一人の男の,ほんの些細な,微笑ましいほど純粋な好奇心だった.

YOSHIKI「(メジャー・デビュー当時)すごい格好してたじゃないですか?だから評論家の人達から総攻撃食ったんですよ,誰もこんなツノ頭でピアノなんか弾くと思ってないんで(笑).あれはある日,全部立てようと思ってやってたら半分立てたところで時間がなくなっちゃって,”じゃあ半分だけメイクして出てみようか?”って出たら受けちゃって(笑).その頃,ポーザー/ノー・ポーザーっていうのがあって,ポーザーっていうのはメイクとかしてる人のこと.ノー・ポーザーっていうのはノー・メイクでいくっていう.で,そのノー・ポーザーっていうのが台頭してまして,”メイクとかすんのは良くない!”っていう.”じゃあ逆行ってやろう!”と思って.要するに”これはマズイんじゃないか?”っていう方に行きたがるんです.それが本当のパンク精神だと思ってたんですよね」

YOSHIKIのパンク精神を探るには,彼とパンクとの出会いまで遡ることが不可欠だろう.

YOSHIKI「もともとクラシックから入ったんですよ,僕は,4才からピアノを始めまして.で,小学校5年生だっけなぁ?のときにKISSを聴いて,”うわ,カッコ良い!”と思って,たまたまKISSが来日するのが新聞に載ってて,”お母さん,これ連れてって!”って.それからもうロックですよね.KISSから入って,レッド・ツェッペリンとかディープ・パープルとか,あの辺全部コピーして.で,中学3年かな?その頃はもうオリジナル作ってたんですけど,アイアン・メイデンがデビューして.あれは衝撃でしたね.あの頃ってパンクっぽかったじゃないですか,アイアン・メイデンて?すごいパンク色が強くて,その辺からパンクも好きになって行ったんです」

当時,ハード・ロック/ヘヴィ・メタルとパンクは犬猿の仲で,まったく相容れないジャンルだった.ところが,スラッシュ・メタルとハードコア・パンクの出現が,お互いの距離を一気に縮めて行く.スピードによるスリルとカタルシスを徹底的に追求する両者に,共通の意識が存在することに気づいたのだ.もしかしたらYOSHIKIは,その斬新な意識を生まれながらに持っていたのかもしれない.

YOSHIKI「で,日本のパンクに目覚めたんですよ.ギズムとかガーゼとかから入って,その辺から今度,イギリスのパンク,カオスUKとかディスチャージとかに行ったんです.だからあの頃は僕,パンクスだったんですよ.(頭に)ツノ立てて,ギグ行って大暴れして.でも,ピアノはずっとやってて」
“PYSCHEDLIC VIOLENCE AND CRIME OF VISUAL SHOCK”というキャッチ・コピーに象徴される圧倒的な暴力衝動と,「ENDLESS RAIN」や「Say Anything」に代表される美しいメロディ.Xの,YOSHIKIの音楽性の根幹をなす二本の大きな柱は,この時期に形作られたと言っても決して過言ではないだろう.

YOSHIKI「「紅」って曲が結構昔からあったんですけど,「紅」をやってるときに……「紅」の前かなぁ?”Xはおかしい!”ってみんな言うんですね.”まずリフがない”と.あ,TAIJIに言われたんだっけなぁ?あと,抜けちゃったギタリストがいるんですけど,”YOSHIKIが作る曲はハード・ロックとしては通用しない”と.でも,僕もハード・ロック経験して来てるんで,”だって同じのやってたってしょうがないじゃん?”みたいな.その辺がうまく合わなくて抜けちゃうんですよ,みんな.”こんなのどこにも当てはまんないじゃん?”みたいなこと言われて.その辺から固定メンバーってつかなかったんですよね」

そんなYOSHIKIとTOSHIに,hide,PATA,TAIJIが加わって,Xは快進撃を開始する.自ら設立したインディーズ・レーベル,エクスタシー・レコードからリリースした1stアルバム『VANISHING VISION』が驚異的なセールスを記録.ド派手なヴィジュアルと過激なパフォーマンスが話題となり,各レコード会社が熾烈な争奪戦を繰り広げた結果,’89年4月,ついにアルバム『BLUE BLOOD』でメジャー・デビューを果たした.

YOSHIKI「デビュー盤のレコーディングですかね?『BLUE BLOOD』のレコーディングをやってるとき,あるエンジニアがいまして,結局僕,救急車送りにしちゃったんですけど(笑).ずっとお酒飲みながらやってて,そんときもウォッカか何か飲みながらやってたんですよ.で,ミックスのときに”この音をちょっと下げてください”って言ったら”それは下げられないな”みたいな話になって.”何でですか?”って訊いたら”いや,俺がやってるんだから”みたいな.それでアッタマ来ちゃって”ふざけんな!”ってことになったらhideが”デビュー盤,デビュー盤!”って(笑).”デビュー盤なんだから,YOSHIKI,ここはなんとか!”みたいな.母親みたいでしたね,まさに.PATAに聞くとよくわかると思うんですけど,Xって家族構成になってたんですよ.僕が暴れん坊の長男で,hideがお母さん.で,PATAがおじいさんで,TAIJIが暴れん坊の弟で,TOSHIが親戚で,HEATHが養子.そういう家族構成になってたんです」

運命共同体となったXは『BLUE BLOOD』以降も快進撃を続け,何枚ものミリオン・セラーを飛ばし,東京ドームも成功させた.そして,そこまでがYOSHIKIがデビュー前に描いていたヴィジョンだったという.

YOSHIKI「”ああ,やっちゃった”って,”じゃあ海外に行こう”って.それでアトランティックと契約して,向こうで記者会見もやって,レコーディング始めたんですけど,ちょうどその辺りにシアトル・ブーム,ニルヴァーナをはじめパール・ジャムとかサウンドガーデンとか,あの辺がガーッと来たんです.それで”これは違うな”って,”このままのXの形態で(アメリカで)デビューしてもダメだな”って.そうこうしてるうちに日本から”何でもいいから早く出してくれ”って言われて.だから『DAHLIA』っていうのはすごい中途半端なんですよね,英語だけで作ってた曲もあるし,日本語も混ぜたような曲もあるし,みたいな.ちょうど移り変わりにいたんです」

その移り変わりに拍車をかけたのもYOSHIKI自身だった.TOSHI,hide,PATA,HEATHがそれぞれソロ活動を始めたのは,実はYOSHIKIの提案だったという.

YOSHIKI「みんないろんなものを持ってて,それをすべてXに詰め込もうとしても無理じゃないですか?幅が広がるのはいいと思うんですけど,広がるにも限度があると思ったんで”好きにやればいいじゃない?”みたいに思ってたんですよね.そしたらなんか,XはYOSHIKIがOKならいいっていうスタイルになって行っちゃって.だから『DAHLIA』を発売したときに”Xなんてバンドじゃないんじゃないですか?”みたいな発言をしてたんです,インタヴューで”こんなアルバム聴きたくない”とか」

バンドでなくなってしまったX.そこからまずTOSHIが脱退し,残った4人は,2000年に再結成するというプランを抱きながら,’97年12月31日,最後の日を迎えることになる.
しかし,『THE LAST LIVE』を観ればわかるように,あの日,東京ドームのステージに立っていたのは紛れもなくロック・バンドだった.客席に降りて行ってCO2をぶちまけるYOSHIKI.そのかわりにドラムを叩くhide.TOSHIとhideが並んで腕立て伏せをするシーンもある.PATAもHEATHも心からライヴを,ロックを楽しんでいる.そして,花道から戻って来たTOSHIをYOSHIKIが抱き締める感動の瞬間に,もはや言葉は必要なかった.楽器と声ですべてを語り合えるバンドマンだけに許された特権.最後の最後にYOSHIKI,TOSHI,hide,PATA,HEATHが取り戻した,微笑ましいほど純粋な子供心.それこそがXだったのだと,このVIDEOは語りかけている.

YOSHIKIが1997年のX JAPAN解散について

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THE LAST LIVEについて

—『THE LAST LIVE』のVIDEOを観て改めて思い出したんですけど,首にコルセットをしてドラムを叩いてたんですよね,あの日は.

「そうですね」

—もう大丈夫なんですか?

「ダメです(笑)」

—ダメって!(笑)

「もう慢性なんで.今も痛いんですよ.何もしてなくても痛い」

—じゃあまだドラムは?

「VIOLET UKのレコーディングで叩いてるんですけど,ぶっ続けで3時間も叩かないんで大丈夫です.Xみたいにドワーッとやれって言われたら自殺行為ですけど(笑)」

—で,これはVIDEOを観て初めて気づいたことなんですけど,hideとすごく蜜にコミュニケーションを取りながらやってたじゃないですか?

「はい.あれは要するに……何て説明したらいいのかな?TOSHIがヘンなこと言い出したらマイクを切れって言ってあったんですよ」

—そうだったんですか!?

「はい.状況によってはメニューも変えるって.そういう話をしてたんで,何か節目ごとにhideと目で合図して”OK,OK”ってやってたんです」

—でも,そのTOSHIがMCで言ってましたよね,”Xっていう名前はYOSHIKIがつけました”って.

「15才ぐらいのときですか,X始めたのって.何かコンテストみたいなのに出たことがあって,そんときに”名前どうしようか?””何もわかんないからXにしよう”って」

—もう20年以上前の話ですよね.そんな,人生の半分以上を共にしたXの解散は苦渋の選択だったと思うんですが.

「そうですね.でも,VIDEOの最後にも入ってるんですけど,再結成考えてましたから.考えたっていうか,その予定で解散を決めてたんで.だからTOSHIが抜けるって言ったときはやっぱり……(’97年)4月ぐらいだと思うんですけど,僕が(L.A.に)レコーディングに行ってて,みんな,PATA以外全員L.A.にいて,TOSHIがヴォーカル録りに来たときに”話がある”って言われて”脱退したい”って言われた瞬間に”わかった”って」

—即答で?

「即答でした.すごい(TOSHIとはつき合いが)長いんで,これはもうダメだと.ただ,俺だけのことじゃないんで,すぐにhideに電話して,HEATHも(L.A.に)いたのかな?すぐに来てくれって言って」

—そこで解散を?

「いや,とりあえずXは続けて行こうと.でも,そのとき僕は(Xの)ライヴ盤を作ってたんですけど,ヴォーカル・エディットしてたらイヤになって来ちゃって.脱退したメンバーの歌をずっと聴いてるわけじゃないですか?で,2,3か月してhideを呼んで”もう限界だ”と」

—確かにへこみますよね,それは.

「でも,そのときも(Xの新しい)ヴォーカルを探してたんですよ.とりあえず一回区切りをつけて,2000年に復活しようと.だからそのときは解散ていう言葉を使わなくてもいいんじゃないかっていう話になってたんです.”活動休止でいいんじゃない?”って」

—でも,結果的に解散という言葉を選んだ.

「”やっぱりヴォーカルが変わるってことは解散なのかな?”みたいな.でも,その後もhideと”あのバンドのあのヴォーカルいいじゃん.どう?”とか話はしてたんですよ.”どこどこの誰々を引き抜こう”って話もしてるぐらいですから」

—かなり具体的なところまで行ってたんですね.ということは,YOSHIKIの中では解散ライヴをする予定はなかった?

「あ,絶対やりたくなかったですね.やりたくなかったし,その時点でもうTOSHIと同じステージに立ちたくなかった……ていうか,ああいう感じだったんで出来ないだろうと思ってました.で,hideに”やらないでしょ?”って言ったら解散のライヴはやるべきだって話になって.”だってホントの解散じゃないじゃん?””そう言われればそうだけど……””一応一回区切りをつけようよ”って.極端だったのは”じゃあ,ヴォーカルなしでやろうか?”とかっていう話をして,”え!?”って言うから”ファンの子に歌ってもらえばいいじゃん”って.そこまで行きましたね」

—それほどまでにTOSHIとは一緒のステージに立ちたくなかった.

「うん.でも,それはやっぱりなってことでTOSHIに電話して”解散ライヴをやるから歌ってくれないか?”って.そして記者会見をしたんです,解散の年の,9月に」

—TOSHI以外の4人でしたんですよね.

「はい.そのときに……そこまではまだ良かったんですよ.そのちょっと前に「THE LAST SONG」でモメたんですけど,結局やることになりまして」

—「THE LAST SONG」が発表されたのにはびっくりしました.今話してくれたような内部事情を考えると.

「あれはもうXのラスト・ソングというよりもTOSHIと僕との間の最後の曲だと思ってたんで.だからあえて対話形式にしたんですよ,僕が喋ってTOSHIが歌う,みたいな.そういう風にしてレコーディングはやってたんですけど,解散記者会見の後にTOSHIの事務所から出たコメントに頭来ちゃいまして」

—”僕(TOSHI)は解散のことは何も知らされてなかった”というあれですよね?

「そう.でも,僕からすれば”脱退しちゃったでしょ?”と.もう冗談じゃないと思って.それでhideにももう(TOSHIとは)同じステージには立てないとか言って.そのひとつの例なんですけど,(「THE LAST SONG」は)日本にプロデューサー雇って,そのプロデューサーに全部譜面と言葉を送って”ここの長さはここまで”とか全部書いて,TOSHIが歌ったテープを送ってもらって聴いて”ここはOK”とか”ここはもう一回やり直して”っていう風に一切(TOSHIとは)対話をしないでレコーディングしたんです」

—へぇ~.

YOSHIKIが1997年のlast liveについて語る

「だから解散コンサートの当日までかな?(TOSHIとは)口きいてないです」

—当日って,東京ドームに入るまで?

「はい.ただ,そんな状況で良いコンサートは出来ないと思ったんで,僕のほうからTOSHIの楽屋に行って”今日は良いコンサートをやろう”って,ひと言だけ言ったような気がする.リハ前かな?東京ドームでの,本番の日のリハ前ですね」

—ということは,5人揃ってのリハーサルは本番当日まで一回もなかった?

「なかった様な…….僕はリハーサル・スタジオで一人で練習してまして,他のみんなは僕のドラムのテープを聴きながら練習してるっていう感じだったので」

—それであのライヴが出来てしまうんですから,改めてすごいバンドですよね,Xって.

「hideは言ってましたけどね.”頼むからリハーサルやろうよぉ”って(笑)」

—Xのライヴってすごく計算されたイメージがあるじゃないですか?でも,『THE LAST LIVE』のVIDEOにも収録されてますけど,TOSHIとhideの腕立て伏せとか,本当にその場のノリでやってるとしか思えないようなシーンが多々あって.

「基本的にコンサートは何でもアリっていう感じなんですよ.例えばピアノ・ソロも(本番でピアノの前に)行くまで何弾くか決めてないし」

—そうなんですか!?

「ええ.ピアノの前に行くまで決めてないし,するかしないかっていうのもその場で決めるんですよ.”今日は気分がいいからピアノ・ソロやろう”とか,”今日はあんまりそういう気分じゃないからやめよう”とか」

—にわかには信じられないエピソードですけど,そう言えばhideも同じようなことを言ってました,”Xは最後までただのロック・バンドだった”って.”だから最後にワーッと出て来てワーッとやってワーッと帰ってく,カミナリ様みたいなライヴをやりたかった”って.

「そうですね.計算されてるのが……ま,計算するんですけど,物事がその通りに運ぶのが僕はいつもイヤで」

—イヤって(笑).

「だから周りに迷惑をかけるんでしょうけどね(笑).例えば「Orgasm」でリズム・ボックスに変わるところでhideのとこ行ってエフェクターをグシャグシャにしちゃったり」

—それは迷惑だ(笑).

「hideも”アッタマ来た!”って僕が叩いてるシンバル倒そうとしたり(笑).そういうメンバーの中での悪ふざけはいっぱいありましたよ」

—だから『THE LAST LIVE』の最後にはTOSHIとも心が通じ合えたんでしょうね.

「そうですね.終わった瞬間はすごいスッキリしました,”これでやっと前に進めるな”っていう」

—その場はスッキリしたかもしれないですけど,こうやって映像作品として発売されるまでに4年の歳月が経ってしまったわけで.やはりVIDEOは観られなかった?

「いや,hideのことがなかったら観れましたよね.あれでダメになっちゃったんです」

—…….

「で,L.A.に帰って1曲書いたんですよ」

—hideに捧げる曲を,ですか?

「はい.「WITHOUT YOU」っていう,「ENDLESS RAIN」とか「Say Anything」とか「Forever Love」とか,あの流れの中で書いた曲があるんですけど,それを書いたら完全に落ち込んじゃって.もう自分の曲も書けないし.自分の曲を書くといろいろ考えるじゃないですか?だからなるべく考えない仕事っていったら人のプロデュースですよね?もうそのアーティストのことだけ考えてればいいんで.だから,自分のことを考えない時間ていうのがプロデュースの活動だったんです」

—なるほど.

「で,2年ぐらい経ったのかな?そうこうしてるうちに平成十周年のイヴェントのお話をいただきまして,そのときに初めて曲をまた書いたんですね.で,当日あのステージに立ったときにウワーッていう歓声を浴びて,”うわ,この感覚は!?”と思ってかなり心が動いたんです」

—すごく大きなきっかけだったんですね,あのイヴェントは.

「そうですね.あと,その間もファンの人達から励ましの手紙とかいただいて”いつ戻って来てくれるんですか?”みたいなのを見て”じゃあ,もう一回頑張ろう!”みたいになって来たんです」

—それですぐ『THE LAST LIVE』の編集に取りかかって?

「いや,去年の1月からだから,さらに1年ぐらい空いてるんですよね.やっぱり覚悟が要って」

—初めて観たときはどんな感じでした?

「とりあえずティッシュの箱を2個持ってスタジオに入って(笑)」

—号泣するってわかってたんですね,自分でも.

「で,”よし,来い!”って言って(笑).でも,実際見たらやっぱりダメでした.もう「Amethyst」の頭のところが始まった瞬間にドワーッと泣き始めちゃって.ホント,最初の5分で中断ですよ.で,オフィスに帰って2,3時間”ダメだ……見れない……”って.それが3日ぐらい続いたのかな?で,4日目に初めて最後まで観て」

—その3日の間にどんな心境の変化が?

「乗り越えなきゃいけないと思ったんですよ.”これを乗り越えなかったら一生Xのことは語れない!”って.Xが語れないってことは人生を語れないってことですからね」

—確かに.

「それで4日目に初めて観て,それから涙の日々が続いたわけです」

—編集はいつ頃終わったんでしたっけ?

「今年の3月の……いつ終わったんだっけな?3日とかその辺です」

—最後まで涙の日々だったんですか?

「もう100%泣いてましたね.この前握手会やった後に観たんですよ,発売日だったから.そのときも大泣きしましたもん.もういい加減にしてほしいと思った,自分でも」

—それはやはりhideとのことを思い出してしまうから?

「たぶん一番辛いのはもうhideが存在しないっていう」

—hideが”俺にとってXはYOSHIKIだから”って言ってたことがあったんですけど,YOSHIKIにとってもhideはあまりにも大きな存在だったわけですね.

「Xって,僕が”こうだ!””白だ!”って言ったら白.”黒だ!”って言ったら黒になっちゃうバンドだったんですよ」

—そういう意味で言ってたんですね,hideは,”俺にとってXはYOSHIKIだから”と.

「”YOSHIKIが決めたんだったらいいよ”って感じでとことんフォローしてくれるっていうパターンだったんで,hideは.ただ,僕は突っ走る方じゃないですか?そういう性格なんで,ガーッと行っちゃうんで,いつも”どう思う?”っていうのを必ずhideと相談してたんです」

—へぇ~.

「それ,逆に自分のこともそうだったんですよね.例えば”今度,北野井子ちゃんをプロデュースするんだけど,どう?”って言ったら……」

—そんな話までhideにしてたんですか?

「全然しますよ.”(西城)秀樹さんの曲書いてるんだけどさ,どう?””やっぱYOSHIKIだったら,ああいうのがいいんじゃない?”とか,”KISSのトリビュートやるんだけど,どう?””「ブラック・ダイアモンド」の方がいいでしょ!”とか,だいたい何でも話してましたよね.だから,その相談相手がいなくなっちゃったってことじゃないですか,要するに?」

—はい.

「それはやっぱりねぇ……VIOLET UKもhideによく聴かせてたんですよ.”どう,これ?”って言ったら”うわ,こんなサウンドになるの!?”みたいな.それからずっと(VIOLET UKは)進んできてるじゃないですか?聴かせたいですよね,hideに,”どう思う?”みたいな感じで」

—そもそもhideとの出会いってどんな感じだったんですか?

「昔,神楽坂にあるエクスプロージョンっていうライヴハウスでやってたんですけど,そこにサーベル・タイガーっていうバンドが出てて,”彼(hide)カッコ良いよね”みたいに思ってて.で,打ち上げか何かで一緒になったときに……あ,違う!引き抜きに行ったんだ,サーベル・タイガーの打ち上げに行って”Xに入れ!”って」

—なにもサーベル・タイガーの打ち上げで引き抜かなくても(笑).

「hideも”YOSHIKI,これ,サーベル・タイガーの打ち上げ”って言ってましたけどね(笑).で,”わかってるけど入れ!”って言ったら”今すぐは無理だよ”でも俺が”きっと入ることになると思う”とか言って」

—へぇ~.

「でも,サーベル・タイガーが解散したときに電話があって,”もうバンドやめようと思ってるんだけど”って」

—そんなこと言ってたんですか!?

「うん.hideはサーベル・タイガーが解散するときにバンド辞めて美容師になろうとしてたんですよ.で,”辞めちゃえばいいじゃん”って」

—辞めちゃえって,一時は引き抜こうとしたじゃないですか(笑).

「いやいやいや,”いろんなバンドから誘いがあるんだけどさぁ,どう思う?”とか言うから,”何したいの?””(バンドを)辞めようと思う””じゃあ,やめちゃえばいいじゃん”って」

—そう言われてhideは?

「”あ,そう”って,それで終わって」

—それだけですか?

「そう.そしたらまた2,3日後に電話がかかって来て,”Xのリハーサル見に行っていい?”って言うから”いいよ”って言って,リハーサルを独りでボーッと見てて.で,その後に一緒に飲みに行ったら”俺,X入ってもいい?”みたいな」

—へぇ~.

「TAIJIも1回入って抜けてるんですよ.入って,Xはパンク色が強くハード・ロック寄りではなかった事など様々な理由で,それで抜けたんですけど,何でTAIJI戻って来たんだっけなぁ……あ,一時期一緒に住んだ時期があったんですよ.TAIJIが”家がないから泊めてくれ”って僕のとこに来て,そしたら居着いちゃって.そうこうするうちに”やっぱりYOSHIKIと組んで何かやりたい”みたいな.hideも同じこと言ってたんですけど,”YOSHIKIといると何か出来そうな気がする”みたいな.だから,ホントの音楽性で入ったわけじゃないと思うな,あの二人は(笑)」

—YOSHIKIと組めば何か面白いことが出来そうだ,と?

「そう.だから,hideもリーダーだったし,PATAもジュディってバンドやっててリーダーだったしね」

—PATAの場合はどういういきさつでXに入ることになったんですか?

「僕,サポートでドラムを叩いたことがあるんですよ,ジュディの.で,打ち上げでPATAに”(ジュディに)入ってくれないか?”って言われて”いや,入れない”って言って.逆に”ウチ(X)に入ったら?”って言ったら”だって俺リーダーだから無理だよ”とかって言ったのに気づいたら入っちゃってた,みたいな(笑).だから大変でしたよ,リーダーを集めたバンドのリーダーですから.そういうところでhideが……何て言うんですかね?僕がぶちまけた残骸を彼が拾って歩いて来たような感じなんですよ,Xって」

—残骸?

「例えば,Xってデビュー当時すごい評論家とかに攻撃受けたんで,僕,喧嘩したんですよ,”上等じゃねぇか!”みたいな感じで.そうするとhideが”YOSHIKI,あれはマズいよ.ちゃんと話した方がいいよ”とか,そういうサジェスチョンをしてくれてたんです」

—へぇ~.

「僕はもうひたすら突っ走ってたんで,そこをhideがフォローしてくれてたって感じだったんです.だから,聴かせたいですよね,VIOLET UKも……」

—『THE LAST LIVE』の編集を終えた今でもhideに関してはまだ区切りがついてないんですね.

「あれだけ観て,あれだけ悩んで,あれだけ考えてやってまだ涙が出て来るってことは,これはもう区切りはつかないんでしょうね」

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VIOLET UKについて

—VIDEO『THE LAST LIVE』のエンディングでXのロゴが紫色に変わって行ってVIOLET UKの予告編が始まるじゃないですか?

「あ,気づきました?”こんなことやったって誰も気づく人いないんだろうな”と思いながらやってたんですけど」

—あんなに長い間ロゴだけ映ってたら誰でも気づきますって(笑).

「じゃあ,もうひとつ”からくり”があるの知ってます?」

—えっ!?

「最後に曲順が流れるじゃないですか?そこの「Amethyst」の”A”が色が違うんですよ」

—確かそれも紫だったような…….

「そう.あれは,昔「DAHLIA」って曲を出したんですけど,その中に会話があるんですけど,”Destiny”とか”Alive”とか.その頭文字を繋げると”DAHLIA”になるんです」

—そうだったんですか!

「はい.で,それが2回繰り返すんですけど,2回目の最後の”A”だけないんです」

—その”A”こそ「Amethyst」の”A”?

「そうです」

—ということは,VIOLET UKはXの続編だと?

「僕は第二のXだと思ってるんで.だからソロとかそういうイメージではないんですよ」

—だから僕もVIDEOのロゴの秘密を見つけられたんでしょうね.「THE LAST SONG」の中に”I see red, I see blue”っていうフレーズがありますけど,赤と青を混ぜると紫になるじゃないですか?これはVIOLET UKだ!って.

「もっと言うと,”I see red”って”僕はとっても怒ってます”っていう意味なんですよ.で,”I see blue”は”僕は寂しい”とか”落ち込んでます”っていう意味で.で,その後の”But the silver lining gradually takes over, When the morning begins, I’ll be in the next chapter”っていうのは,何か悪いことがあっても良いことがあるっていうのを英語で”Every cloud has a silver lining”って言うんです.”黒雲にも皆銀白の裏付けがある”っていう”憂いの反面には喜びがある”って」

—へぇ~.

「VIOLET UKに「the other side」って曲があるんですけど,そこにやっぱり”I see red, I see blue”っていう,まったく同じ表現で使ってるんですけどね」

—Xって,「紅」に象徴される赤い怒りと,『BLUE BLOOD』に象徴される青い悲しみを表現して来たじゃないですか?それが混ざって紫の朝焼けを迎えたということは,VIOLET UKはポジティヴな音楽を作って行くということですよね?

「いや,基本的にはネガティヴです,VIOLET UKは」

—そうなんですか!?

「はい.「hollywood blacksheep」っていう曲があるんですけど,その中で”僕が明日死んでも,それはただのロック・スターの死にすぎない”みたいなことを平気で書いてますからね」

—ハリウッドの贖罪の羊…….

「”僕が死んで,泣いてくれる人なんているのか?”みたいな」

—めちゃめちゃ自虐的ですね.

「はい.あと,さっき言った「the other side」も”自分を違う世界に連れてってくれ”っていう歌なので,基本的には死に対する歌ですよね」

—”生きるために違う世界に連れて行ってくれ”ではなく”この世界から消してくれ”みたいな?

「そうです,そうです.死について語ってる曲が多いですね.”suicide”って言葉もいっぱい出て来るし」

—死は死でも自殺……めちゃめちゃヘヴィじゃないですか!?

「ヘヴィですよ」

—予告編の中で,韓国でのインタヴューでしたか,VIOLET UKの音楽性を語ってるシーンがあったじゃないですか?その中で”自分がへこんだとき,すごい音楽に助けられた”と,”だからこれから美しい音楽を作って,それが人々のハートに触れて人々を助けてあげれればいい”みたいなことを言ってましたよね?

「そうですね」

—にもかかわらずネガティヴなんですか,VIOLET UKは?

「僕,ポジティヴなエネルギーってネガティヴによってさらに引き立つと思うんですよ.例えば,毒の中にある美ってすごく綺麗に見えるじゃないですか?悲しみの中にある喜びってすごい喜びに見えるじゃないですか?」

—確かに.

「だから,悲しみなり毒をずっと表現したときにポッと美を出すと,それがすごいポジティヴに感じるっていう」

—非常に逆説的な表現方法だと思いますけど,それってXが使って来た手法ですよね?

「たぶん同じですね.それがもっと斬新になってるっていう.Xのときだったら使えなかった表現まで使っちゃってるんで.曲も激しいものは激しいですよ.もともとVIOLET UKってデジタルの……何て言うんですかね?トリップ・ホップとか入ってて,トリッキーとかマッシヴ・アタックとか.ま,ポーティスヘッドまでは行かないですけど,あのへんの流れから入って来てるんで.そこにパンクが入って来て,ロックが入って来てっていう流れなんですよね」

—そこにさらに,インタヴューでも言ってましたけど,クラシックの要素が入り,ノイズ・ギターも入ると.

「そうですね.すごい綺麗なメロディに七弦ギターがガーッと入って来るような,そんな感じです」

—想像してたのとは全然違う感じになりそうなんでびっくりしてるんですけど,今.

「でも,ギターはhideに影響されてますよ.hideってXのとき何トラックも,32chだったかな?全部ギターを入れて来やがって」

—来やがってって!(笑)

「「THE LAST SONG」のときもそうだ.もう死ぬほど入れて来るんです,ギター.そのときは”何でこんなに入れてくるんだろう?エディットする身にもなってみろ!”って思ってたんですけど,その気持ちわかりますもん,今」

—hideの影響を受けているという意味でも第二のXかもしれないですね,VIOLET UKは.

「ギターに関してはそうかもしれないですね」

—でも,予告編では”ヴィジュアルがすごく重要な要素になるだろう”と,”ファッション・ショウみたいなものもやるかもしれない”ってありましたけど?

「映像と音楽ってもう切っても切れない関係じゃないですか?」

—ということはライヴも,ステージにバンドが出て来て演奏して終わりみたいな通常の形態とは違うものになる?

「それがホントのコンセプトだったりするんですけどね.思い切りライヴっぽくなるのもあってもいいし,ツアーがあって,この日はまったくバンドが現れなかったとかでもいいし.なんかアメーバみたいなものになればいいかなって思ってますけど」

—アメーバ,ですか?

「どんどん変化しちゃう,みたいな」

—訊けば訊くほどわからなくなってくるんですけど(笑).

「そう.みんな大混乱してくれると嬉しいな」

—では,VIOLET UKの”UK”って?

「もともとVIOLETだったんですけど,コピーライトの問題とかいろいろありまして.で,X JAPANとかって言うぐらいだから,”じゃ,VIOLET UKでいいんじゃない?”みたいな,そんな感じです」

—マジっスか!?

「ノリはそうですね.UKの意味はいろいろ考えましたけど,”Underground Kingdom”とか.ただ,僕がもともと影響されてるのって,KISSとかは例外ですけど,ピンク・フロイドにしてもレッド・ツェッペリンにしてもアイアン・メイデンにしてもイギリスなんで,いいかなって.それをなぜL.A.でやってるのかが自分でもよくわからないんですけど(笑).

—韓国のフィルム・ギグで今年中には音源を出してステージに戻って来ると宣言してましたけど?

「マズいでしょ,あれで出てこなかったら(笑).スケジュール的には絶対できるスケジュールになってるんですけどね,曲ももう全部出揃ってるし.今,30何曲あるんですよ.ミックス終わってる曲もあるし」

—今すぐにでもアルバム出せるじゃないですか?

「ただ,問題は1曲の平均時間が10分なんですよ.それを短くする作業をしなきゃいけないんで.でも,『THE LAST LIVE』のVIDEOの編集を終えて,区切りがついたんでね,これから行きますよっていう,そういう感じなんですけどね」

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こんにちは、ジョナサンです。 Xといえば「速い曲」 YOSHIKIのドラムといえば「速い」 と連想する方もおられるのではないでしょうか?^^ ということで、今回は、Xの曲をツーバスの連打が「速い順」にランキングにしてみました...
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